大津の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

滋賀県大津市歴史探訪
大津市の概要
大津市は琵琶湖の南西岸に位置し、北陸地方への湖上交通の玄関口として琵琶湖と比良・比叡の山並みにあります、戦災を免れた都市には多くの歴史的建造物が残され、古代には大津京が置かれた自然と歴史のまちです。また、石山温泉などの温泉街や、歓楽街としても著名な雄琴温泉を擁する観光地として発展してきました。京都市や大阪市のベッドタウンとしての機能も有しています。

大津のあゆみ
旧石器時代、瀬田の大池でサヌカイト製のナイフ型石器、真野・南滋賀・田上里町・瀬田三大寺、瀬田川の川底から1万年前の有茎尖頭器(石槍)が出土しており、狩りで暮らす人々の存在が知れます。また、縄文時代わが国最大級の淡水産貝塚が西岸の石山寺近くで発見されるなど、琵琶湖で漁をし、背後の山々で狩りや木の実の採集をしていた縄文人の生活がよくわかります。

7世紀、短期間ではありますが大津京に象徴される時代が訪れます。仏教伝来が大津に芽生えます。これらの遺跡が各地で発掘されています。大津京時代が終わり奈良時代に入ると、瀬田に地方行政を行う国府が置かれます。田上・大石の山々は、平城京、東大寺建立の用材を供給する朝廷の杣となり、多数の材木が瀬田川を下りはるばる奈良へ運ばれたそうです。

延暦13年(794)桓武天皇が平安京(京都)に遷都、大津はふたたび栄え、唐崎や石山寺が信仰をかねた名所として賑わいます、延暦7年に最澄が比叡山中に開いた寺院は、のちに延暦寺となり朝廷から崇敬され宗教界の大勢力に成長しました。

源平の争乱に勝利した源頼朝が鎌倉幕府を開くと、頼朝は石山寺を復興、多宝塔などを建立する傍ら、山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の争いもくり返され、僧兵が活躍しました。いっぽう、有力社寺や貴族・武士等を領主とあおぐ庄園が各地で成立し、神社が地域の精神的きずなとなって発展しました。 そして戦国時代に入ると多くの武将が大津を重視します。織田信長は、宗教的権威である山門(延暦寺)を焼き打ち、豊臣秀吉は、天正14年(1586)頃に大津城を築き、水運を整備し、大津を東国・北国の諸物資の大集散地として発展させます。

江戸時代に入ると幕府直轄の港町・宿場町として栄えます。秀吉・家康のもと延暦寺は復興し、家康の側近として活躍した天海は、坂本に家康をまつる東照宮を建立したともいわれています。

明治維新後、滋賀県の行政の中心として位置づけられ、県庁が置かれます。陸軍歩兵第九連隊の駐屯地となり、軍都の性格も加えられました。交通・運輸・治水等諸分野でも近代化が急速に進められ、汽船の就航、鉄道の敷設、琵琶湖疏水の開削から瀬田川洗堰の建設まで次々と実施されます。

昭和へと時代は移り大津は工業都市に変化します。しかし長い長い戦争は、その発展を一時止めてしまいます。敗戦後アメリカ占領軍の民主化政策を経て、大津は新しい歩みを始め、「ひとが輝くふるさと都市大津」の実現を目指し今も尚歩みを続けています。

大津の名前の由来
琵琶湖の 大きな港 を意味し、後に 古津 (ふるつ )という呼び名から大津に改められたと言われています。


大津の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
大津市歴史博物館
住所: 〒520-0037
滋賀県大津市御陵町2-2 [地図を見る]
電話番号: 077-521-2100
開館時間: 9:00〜17:00
(展示観覧のための入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(祝祭日・振替休日の場合は開館)
祝祭日の翌日(土・日曜日の場合は開館)
年末年始(12月27日〜1月5日)
入館料:

一般:210円(団体)160円
高校生・大学生:150円(団体)120円
小学生・中学生:100円(団体)80円








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